左耳が聞こえない話

みなさん、お久しぶりです。

バカ提督です。

ゴールデンウィーク最終日も目前の今日、皆さんは何をして過ごされていますか?

私は FM 80.0MHz でラジオを聴きながら、心地のいい午後の時間を過ごしています。

 

今回の内容はタイトルにもある通り、左耳が聞こえない私の話です。

私事ではありますが、昨年度は就職活動を行い4月から社会人となり環境が変わっていろいろ考えたので、需要があるかはわかりませんが皆さんにお話ししてみようかと考えました。

しばらくブログを書いていなかったのと、短時間で書いたため読みづらい箇所が多々あるかと思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

最後に、特徴がある話であるため身バレになってしまうかと思いますが、私のTwitterをフォローしている人以外で、この記事を目にして「あれ?お前?」と思ったか方が居れば一言声をかけてください。

それでは以下本編

 

 

幼少期

私の左耳が聞こえないのは、おそらく生まれた時からです。

というのも、小さい頃は聞こえないことに違和感を抱いていないうえに、聴力検査を受けても訳が分からなかったため、正確な検査結果を得られずいつから聞こえないかの証拠がありません。

 

しかし、昔から左耳が聞こえなかったなーと思える記憶はあります。

ふとした日常の中で、家族が私の左耳に耳打ちをすると、私は聞こえないため右耳を差し出しもう一度言ってもらうことをしていました。

私はこの行為に何も違和感を持たないまま行っていました。

しかし、私の親はこういった日常的な行動から、違和感を抱いてくれ病院に通うようになりました。

幼少期の話はこの程度です。本当に聞こえないのが普通だと感じていたため、これといった話は特にありません。

 

小中学生のころ

幼少期に引き続き、小学低学年までも特に気になることはなく過ごしました。

しかし、小学4年生頃から気にするようになります。

 

そのきっかけは、当時の担任の先生に「何度も聞きなおさず、一回で聞け」という旨のことを言われたからです。この時、何の話だったかは覚えていませんが、担任の先生が私の左側から話していた他、教室の環境から聞こえづらかったのは覚えています。

私はふざけていたわけではなく、本当に聞こえなかったから聞き直していただけで怒られるというのはとてもショックでした。

この頃から私は自己紹介の場で、左耳が聞こえないこと、そのため聞き直すことが多々あることを承知してほしい旨を伝えることにしました。

そして、小学5-6年のころは席替えのたびに黒板へ向かって左側を希望するほど神経質になっていますた。

 

他にも小学6年生の時(?)には、お医者さんが補聴器を試してみたら?と勧めてくれたこともあって、数週間だけ試してみました。しかし、全く効果はありませんでした。

今思い返すと、ここで効果があっても補聴器の管理や整備がめんどくさいため使用するようになったかは怪しいですけど。

 

中学になり、神経質になりすぎないことを覚えたころには、席替え時の希望も出さず、聞こえない部分があっても前後の文脈で内容が分かれば気にしないなどと、適当に過ごせるようになりました。

みんなとは長い付き合いだったため、何度か聞きなおすことになっても嫌な顔をせずに付き合ってくれました。

 

私はこの頃、年に2回聴力検査を受けるため病院にいくこと以外、他のみんなとは大差がなかったと思います。

 

高専在学中

入学して、学校側に左耳難聴のことを伝えてからあることに気付きました。

これから5年間、私の左耳が聞こえないことに慣れていない人と過ごすのだと。

結果から言えば、周りのみんなと仲良くさせてもらった上に、私自身もこの生活に慣れていったため不便はありませんでした。

しかし、この時の私は不安でした。

 

絶対に自己紹介の時に言わなきゃと思いながら、順番を待ち、自分の自己紹介の最後に左耳難聴のことを伝えると、教室が微妙な空気になったのを今でも覚えています。

まぁ、どう扱っていいかわからない事実に対して当然の結果だと思います。

なので私は、自分勝手ながらみんなに特別気にすることはないと分かってもらえるように、自虐ネタを使うようになりました。

その例を最後に挙げるので、不快な気持ちになる恐れのある方は閲覧をお控えください。

 

そんなこんなで過ごした高専5年間、周りのみんなも時々「そういえば…」と私の左耳難聴について思い出してくれるが、普段は気にせず接してくれ、私も時々自分の左耳難聴について忘れるほど恵まれていました。

とある期間を除いては。

 

私も、私の家族も左耳難聴がここまでも私の足を引っ張るとは思っていませんでした。

そのとある期間とは、就職活動。

私は電気と情報系について学んでおり、最初は情報系を目指していました。

その際は、面接中に聞き直す恐れもあることから、挨拶のように左耳難聴について担当者さんに伝えていました。

そして、情報系が実らなかったため機械系へ方向転換をしたとき、とある医学適性検査がある会社を受験しました。こちらも同様に左耳難聴について伝えると、度合いによるので一度検査を受けに来てくださいとのこと。

当時は、耳で引っかかっても面接でうまくいけば、聴力の制限がない部門に回してくれるだろうとの甘い考え。

 

面接当日。病院で健康診断のようなものを受け、その他必要な試験も受験し、面接へ。

面接自体は正直今まで受けたどの会社よりも楽しかった。

面接終わってすぐ、家族や親友に「聴力のこともあるから結果は分からないが」と枕詞を置きながら、めっちゃ楽しかったと報告。

夢占いでも受かるとの結果だったので、そこまで不安にもなっていない中届いた合否通知。

結果は不合格。

この通知を受けた時は、「面接は楽しかったが駄目だったか―。やっぱり聴力があるからなー。」と、すべての責任を自分の左耳へ。

その時は、言ってくれれば聴力に関する詳しい情報を数値で伝えられたから、こんな無駄足を踏まずに済んだのに。とも思ってしまった。

自分を擁護するが、時期的にも焦っていたのでそう思ったことについては許してほしい。

 

しかし、今ではこの楽しかった面接のおかげで次に受けた面接がうまくいったので、いい経験をさせてくれたと感謝をしている。

そして、その会社の担当者にしょうもない理由で不合格通知を出させてしまって申し訳ないとも思っている。

 

他にも、大学病院へ左耳が聞こえるようになる手術についてお話を聞きに行ったが、ここでは割愛。

 

就職して

今年の4月になってから社会人となったわけですが、大きなミスを犯す。

自己紹介の時に左耳が聞こえないことを言わなかった。

とっさに気付き、言おうかとも思ったがもうこの生活にも慣れたので、言わなくてもいいかな?と考えた。

改めて言ってもまた微妙な空気をつくってしまうとも思った。

 

なので私は、必要最低限の人に個別で伝えることにした。

その結果、そこまで気にはしていないが一つだけ不安なことがある。

それは、私の左耳難聴を知らない人から、私が声の大きな下品な人と思われているのではないかということ。

詳しく説明すると、耳が遠いいおじいちゃんおばあちゃんは声が大きいことを考えてほしい。それと同様に、私も多少声が大きいと思う。どうしても自分の耳が悪いと、自分がどれだけ大きな声を出しているか気付かないものである。性格という可能性もあるため、断定はできないが私はそう思っている。

 

なら、相手に左耳難聴について伝えればいいじゃん

そう簡単ではない。

まっさらな関係のうちに言うならともかく、後出しじゃんけんのように言うのは流れをつくりにくい。

なので今後、機会ができた時に話せばいいやと逃げ。

実際、今現在ではそう思われている確信はないし(逃げ)、気が緩んでいる時を除けば気を付けているし(逃げ)、そもそもただの勘違いという可能性もあるし(逃げ)。

この選択も、今後私の人生における参考資料となるかもしれないと思いながら声の大きさに気を付ける日々。

というか、ここで気を付ける癖がつけばお得じゃんと前向きに(結局逃げ)。

 

学生から社会人へと大きく環境が変わってまだ1か月。

仕事も楽しく取り組めて、今までの経験から適当に生きる術を身につけた今、今後自分がどうなっていくのかが自分自身で楽しみです。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。最後は逃げの話になって後味が悪くなってしまったとは思いますが、適当に話したらこんなものです。私が左耳難聴について話した際、時々「大変だね」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、持たないまま生まれて過ごしてきた私は「何が?」というのが本音です。大変や不便は比較対象があることで感じるもので、両耳が聞こえる人生を過ごしたことのない私にとっては不便とは感じません。

なんなら、骨伝導イヤホンで両耳が聞こえるような体験をした際には、別になくても不便さを感じないから使わなくてもいいと思ったほどです。

さらに先日親と話していた際に、自分が聞こえないのは左右どちらの耳か一瞬分からなくなったほど気になりません。

 

ただ、片耳を塞いでしまうと簡単に両耳が聞こえない人の体験を疑似的にできてし舞います。難聴のまま生まれて、難聴のまま過ごした人はその生活に慣れているからそこまで不便を感じないが、事故等で聞こえる耳が聞こえなくなった時にはどれほど絶望するかと時々考えます。

そして、この絶望は聴力に限らないのだとも思います。

私は聴力について考える時間が多いので、聴力の話を続けますが、赤色灯を回している救急車を見かけた時、耳を塞いでいてもサイレンが聞こえるような気がする経験をしました。私が考えるに、これは耳からではなく、記憶から音がするのだと思います。そして、聞こえるはずの音が聞こえないことにムズムズし、私は塞いでいた手を放しました。

ここで手を放しても聞こえなかったら。なんて思うと怖かったです。

 

この先、自分の身体に何があるか分かりませんが、こういったことを考える時間があってもいいのかなと私は思います。

終わりに怖い話をしてしまったので、番外編の長所と短所でも読んで、お口直しをしてください。

そしてもし、今回この記事を読んで気になることがあればお気軽にdm等をしてください。

今日の晩御飯は何?といった内容でも構いません。

 

最後に、生まれてから今まで優しく接してくれた家族、友達、周りの方々には感謝をしています。みなさんのおかげもあって、私は今日も不便さを感じずに過ごしています。

 

 

番外編

片耳が聞こえないことの長所(私の経験から)

・左手で右耳を塞げば静かな環境をつくりつつ聞き手は使える

百マス計算の時に大活躍

・親から隠れてゲームをしている時、右耳の音だけに集中できる上パーティー効果とも相まって使いやすい。なお、親には見つからないとは言っていない

・音の発生方向を特定するとき、(ふざけ半分で)360度回るのがレーダーみたいで面白い

・みんなとは違う特徴を一つ獲得

・イヤホン、耳栓の片方が壊れる・無くすことがあっても問題なし

・そもそも生まれた時から聞こえないからそこまで不便さを感じない

 

片耳が聞こえないことの短所(私の経験から)

・音の立体感(左右の動き)が分からない

・聴力の定期検査でお金がかかる(聴力が低下した際に早期発見をするため仕方ない)

・映画やオーディオの機能を十分に堪能できない。映画のIMAX(?)とか値段が高いうえに、音の動きは前後しかわからない

・声が大きくなる(かも?)

あとはパッと思いつかない

 

 

 

 

自虐ネタの例

以下に、私が使用した自虐ネタの例を挙げます。

これらは私が使用したものであり、難聴の人全員に受け入れられるネタではないため、私以外の人に言う際は、相手が不快にならないことを確認する等の注意を行ってから慎重に使用してください。

 

先に述べたように、不快になるかもしれないので閲覧には注意してください。

なお、閲覧する際も次のことを十分に理解してから閲覧してください。

・自虐ネタはすべて”冗談である”こと

・私が自虐ネタを言うのは、周りの人に私が自分の難聴について気にしなくていいと知ってもらうことが目的としており、第三者をバカにするような意図はないこと

・知識や周りの人への配慮が足りていないうえに、周りの人へ私について知ってほしという思いから、不適切な内容が含まれていること

 

例)

・家電量販店のオーディオ機器を見て

「俺、この機能を堪能できないから半額にしてくれないかな」

・両耳が聞こえる人に対して

「お前ら、静かな環境が欲しいとき両手で両耳を塞がないといけないとか不便だな。俺は片手で十分だし、左手で右耳を塞げば利き手を使えるよ」

・健康診断の日

「(聴力検査の欄を指さして)今日、”所見あり”の日か」

・聴力にかかわる法律に対して

「(日常生活で左耳が聞こえなくても不便はないことから)この法律を考えた人、絶対両耳聞こえてる」

・病院への定期検査に行くとき

「ちょっとエアコンの利いた部屋へ行ってくる」

※家にはエアコンがないことに対して、検査室には密閉された小さな空間にエアコンがある

・市販の耳栓を見て

「俺にとってはこの耳栓、2回分」(イヤホンでも装着する耳の指定が無ければ同様)

・日常会話で

「俺の左側から話すなよ!!聞きづらいだろ!!(冗談)」

・車を見ている時

「俺は人と話すとき、右から話してほしいから左ハンドルの車だね」

・このブログを書いている時

「”ひだりみみ”ってローマ字で入力するのめんどくさくね?」