左耳が聞こえない話

みなさん、お久しぶりです。

バカ提督です。

ゴールデンウィーク最終日も目前の今日、皆さんは何をして過ごされていますか?

私は FM 80.0MHz でラジオを聴きながら、心地のいい午後の時間を過ごしています。

 

今回の内容はタイトルにもある通り、左耳が聞こえない私の話です。

私事ではありますが、昨年度は就職活動を行い4月から社会人となり環境が変わっていろいろ考えたので、需要があるかはわかりませんが皆さんにお話ししてみようかと考えました。

しばらくブログを書いていなかったのと、短時間で書いたため読みづらい箇所が多々あるかと思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

最後に、特徴がある話であるため身バレになってしまうかと思いますが、私のTwitterをフォローしている人以外で、この記事を目にして「あれ?お前?」と思ったか方が居れば一言声をかけてください。

それでは以下本編

 

 

幼少期

私の左耳が聞こえないのは、おそらく生まれた時からです。

というのも、小さい頃は聞こえないことに違和感を抱いていないうえに、聴力検査を受けても訳が分からなかったため、正確な検査結果を得られずいつから聞こえないかの証拠がありません。

 

しかし、昔から左耳が聞こえなかったなーと思える記憶はあります。

ふとした日常の中で、家族が私の左耳に耳打ちをすると、私は聞こえないため右耳を差し出しもう一度言ってもらうことをしていました。

私はこの行為に何も違和感を持たないまま行っていました。

しかし、私の親はこういった日常的な行動から、違和感を抱いてくれ病院に通うようになりました。

幼少期の話はこの程度です。本当に聞こえないのが普通だと感じていたため、これといった話は特にありません。

 

小中学生のころ

幼少期に引き続き、小学低学年までも特に気になることはなく過ごしました。

しかし、小学4年生頃から気にするようになります。

 

そのきっかけは、当時の担任の先生に「何度も聞きなおさず、一回で聞け」という旨のことを言われたからです。この時、何の話だったかは覚えていませんが、担任の先生が私の左側から話していた他、教室の環境から聞こえづらかったのは覚えています。

私はふざけていたわけではなく、本当に聞こえなかったから聞き直していただけで怒られるというのはとてもショックでした。

この頃から私は自己紹介の場で、左耳が聞こえないこと、そのため聞き直すことが多々あることを承知してほしい旨を伝えることにしました。

そして、小学5-6年のころは席替えのたびに黒板へ向かって左側を希望するほど神経質になっていますた。

 

他にも小学6年生の時(?)には、お医者さんが補聴器を試してみたら?と勧めてくれたこともあって、数週間だけ試してみました。しかし、全く効果はありませんでした。

今思い返すと、ここで効果があっても補聴器の管理や整備がめんどくさいため使用するようになったかは怪しいですけど。

 

中学になり、神経質になりすぎないことを覚えたころには、席替え時の希望も出さず、聞こえない部分があっても前後の文脈で内容が分かれば気にしないなどと、適当に過ごせるようになりました。

みんなとは長い付き合いだったため、何度か聞きなおすことになっても嫌な顔をせずに付き合ってくれました。

 

私はこの頃、年に2回聴力検査を受けるため病院にいくこと以外、他のみんなとは大差がなかったと思います。

 

高専在学中

入学して、学校側に左耳難聴のことを伝えてからあることに気付きました。

これから5年間、私の左耳が聞こえないことに慣れていない人と過ごすのだと。

結果から言えば、周りのみんなと仲良くさせてもらった上に、私自身もこの生活に慣れていったため不便はありませんでした。

しかし、この時の私は不安でした。

 

絶対に自己紹介の時に言わなきゃと思いながら、順番を待ち、自分の自己紹介の最後に左耳難聴のことを伝えると、教室が微妙な空気になったのを今でも覚えています。

まぁ、どう扱っていいかわからない事実に対して当然の結果だと思います。

なので私は、自分勝手ながらみんなに特別気にすることはないと分かってもらえるように、自虐ネタを使うようになりました。

その例を最後に挙げるので、不快な気持ちになる恐れのある方は閲覧をお控えください。

 

そんなこんなで過ごした高専5年間、周りのみんなも時々「そういえば…」と私の左耳難聴について思い出してくれるが、普段は気にせず接してくれ、私も時々自分の左耳難聴について忘れるほど恵まれていました。

とある期間を除いては。

 

私も、私の家族も左耳難聴がここまでも私の足を引っ張るとは思っていませんでした。

そのとある期間とは、就職活動。

私は電気と情報系について学んでおり、最初は情報系を目指していました。

その際は、面接中に聞き直す恐れもあることから、挨拶のように左耳難聴について担当者さんに伝えていました。

そして、情報系が実らなかったため機械系へ方向転換をしたとき、とある医学適性検査がある会社を受験しました。こちらも同様に左耳難聴について伝えると、度合いによるので一度検査を受けに来てくださいとのこと。

当時は、耳で引っかかっても面接でうまくいけば、聴力の制限がない部門に回してくれるだろうとの甘い考え。

 

面接当日。病院で健康診断のようなものを受け、その他必要な試験も受験し、面接へ。

面接自体は正直今まで受けたどの会社よりも楽しかった。

面接終わってすぐ、家族や親友に「聴力のこともあるから結果は分からないが」と枕詞を置きながら、めっちゃ楽しかったと報告。

夢占いでも受かるとの結果だったので、そこまで不安にもなっていない中届いた合否通知。

結果は不合格。

この通知を受けた時は、「面接は楽しかったが駄目だったか―。やっぱり聴力があるからなー。」と、すべての責任を自分の左耳へ。

その時は、言ってくれれば聴力に関する詳しい情報を数値で伝えられたから、こんな無駄足を踏まずに済んだのに。とも思ってしまった。

自分を擁護するが、時期的にも焦っていたのでそう思ったことについては許してほしい。

 

しかし、今ではこの楽しかった面接のおかげで次に受けた面接がうまくいったので、いい経験をさせてくれたと感謝をしている。

そして、その会社の担当者にしょうもない理由で不合格通知を出させてしまって申し訳ないとも思っている。

 

他にも、大学病院へ左耳が聞こえるようになる手術についてお話を聞きに行ったが、ここでは割愛。

 

就職して

今年の4月になってから社会人となったわけですが、大きなミスを犯す。

自己紹介の時に左耳が聞こえないことを言わなかった。

とっさに気付き、言おうかとも思ったがもうこの生活にも慣れたので、言わなくてもいいかな?と考えた。

改めて言ってもまた微妙な空気をつくってしまうとも思った。

 

なので私は、必要最低限の人に個別で伝えることにした。

その結果、そこまで気にはしていないが一つだけ不安なことがある。

それは、私の左耳難聴を知らない人から、私が声の大きな下品な人と思われているのではないかということ。

詳しく説明すると、耳が遠いいおじいちゃんおばあちゃんは声が大きいことを考えてほしい。それと同様に、私も多少声が大きいと思う。どうしても自分の耳が悪いと、自分がどれだけ大きな声を出しているか気付かないものである。性格という可能性もあるため、断定はできないが私はそう思っている。

 

なら、相手に左耳難聴について伝えればいいじゃん

そう簡単ではない。

まっさらな関係のうちに言うならともかく、後出しじゃんけんのように言うのは流れをつくりにくい。

なので今後、機会ができた時に話せばいいやと逃げ。

実際、今現在ではそう思われている確信はないし(逃げ)、気が緩んでいる時を除けば気を付けているし(逃げ)、そもそもただの勘違いという可能性もあるし(逃げ)。

この選択も、今後私の人生における参考資料となるかもしれないと思いながら声の大きさに気を付ける日々。

というか、ここで気を付ける癖がつけばお得じゃんと前向きに(結局逃げ)。

 

学生から社会人へと大きく環境が変わってまだ1か月。

仕事も楽しく取り組めて、今までの経験から適当に生きる術を身につけた今、今後自分がどうなっていくのかが自分自身で楽しみです。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。最後は逃げの話になって後味が悪くなってしまったとは思いますが、適当に話したらこんなものです。私が左耳難聴について話した際、時々「大変だね」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、持たないまま生まれて過ごしてきた私は「何が?」というのが本音です。大変や不便は比較対象があることで感じるもので、両耳が聞こえる人生を過ごしたことのない私にとっては不便とは感じません。

なんなら、骨伝導イヤホンで両耳が聞こえるような体験をした際には、別になくても不便さを感じないから使わなくてもいいと思ったほどです。

さらに先日親と話していた際に、自分が聞こえないのは左右どちらの耳か一瞬分からなくなったほど気になりません。

 

ただ、片耳を塞いでしまうと簡単に両耳が聞こえない人の体験を疑似的にできてし舞います。難聴のまま生まれて、難聴のまま過ごした人はその生活に慣れているからそこまで不便を感じないが、事故等で聞こえる耳が聞こえなくなった時にはどれほど絶望するかと時々考えます。

そして、この絶望は聴力に限らないのだとも思います。

私は聴力について考える時間が多いので、聴力の話を続けますが、赤色灯を回している救急車を見かけた時、耳を塞いでいてもサイレンが聞こえるような気がする経験をしました。私が考えるに、これは耳からではなく、記憶から音がするのだと思います。そして、聞こえるはずの音が聞こえないことにムズムズし、私は塞いでいた手を放しました。

ここで手を放しても聞こえなかったら。なんて思うと怖かったです。

 

この先、自分の身体に何があるか分かりませんが、こういったことを考える時間があってもいいのかなと私は思います。

終わりに怖い話をしてしまったので、番外編の長所と短所でも読んで、お口直しをしてください。

そしてもし、今回この記事を読んで気になることがあればお気軽にdm等をしてください。

今日の晩御飯は何?といった内容でも構いません。

 

最後に、生まれてから今まで優しく接してくれた家族、友達、周りの方々には感謝をしています。みなさんのおかげもあって、私は今日も不便さを感じずに過ごしています。

 

 

番外編

片耳が聞こえないことの長所(私の経験から)

・左手で右耳を塞げば静かな環境をつくりつつ聞き手は使える

百マス計算の時に大活躍

・親から隠れてゲームをしている時、右耳の音だけに集中できる上パーティー効果とも相まって使いやすい。なお、親には見つからないとは言っていない

・音の発生方向を特定するとき、(ふざけ半分で)360度回るのがレーダーみたいで面白い

・みんなとは違う特徴を一つ獲得

・イヤホン、耳栓の片方が壊れる・無くすことがあっても問題なし

・そもそも生まれた時から聞こえないからそこまで不便さを感じない

 

片耳が聞こえないことの短所(私の経験から)

・音の立体感(左右の動き)が分からない

・聴力の定期検査でお金がかかる(聴力が低下した際に早期発見をするため仕方ない)

・映画やオーディオの機能を十分に堪能できない。映画のIMAX(?)とか値段が高いうえに、音の動きは前後しかわからない

・声が大きくなる(かも?)

あとはパッと思いつかない

 

 

 

 

自虐ネタの例

以下に、私が使用した自虐ネタの例を挙げます。

これらは私が使用したものであり、難聴の人全員に受け入れられるネタではないため、私以外の人に言う際は、相手が不快にならないことを確認する等の注意を行ってから慎重に使用してください。

 

先に述べたように、不快になるかもしれないので閲覧には注意してください。

なお、閲覧する際も次のことを十分に理解してから閲覧してください。

・自虐ネタはすべて”冗談である”こと

・私が自虐ネタを言うのは、周りの人に私が自分の難聴について気にしなくていいと知ってもらうことが目的としており、第三者をバカにするような意図はないこと

・知識や周りの人への配慮が足りていないうえに、周りの人へ私について知ってほしという思いから、不適切な内容が含まれていること

 

例)

・家電量販店のオーディオ機器を見て

「俺、この機能を堪能できないから半額にしてくれないかな」

・両耳が聞こえる人に対して

「お前ら、静かな環境が欲しいとき両手で両耳を塞がないといけないとか不便だな。俺は片手で十分だし、左手で右耳を塞げば利き手を使えるよ」

・健康診断の日

「(聴力検査の欄を指さして)今日、”所見あり”の日か」

・聴力にかかわる法律に対して

「(日常生活で左耳が聞こえなくても不便はないことから)この法律を考えた人、絶対両耳聞こえてる」

・病院への定期検査に行くとき

「ちょっとエアコンの利いた部屋へ行ってくる」

※家にはエアコンがないことに対して、検査室には密閉された小さな空間にエアコンがある

・市販の耳栓を見て

「俺にとってはこの耳栓、2回分」(イヤホンでも装着する耳の指定が無ければ同様)

・日常会話で

「俺の左側から話すなよ!!聞きづらいだろ!!(冗談)」

・車を見ている時

「俺は人と話すとき、右から話してほしいから左ハンドルの車だね」

・このブログを書いている時

「”ひだりみみ”ってローマ字で入力するのめんどくさくね?」

2021年振り返り

みなさん、こんにちは。

バカ提督です。

 

今回は12月31日なので、2021年を振り返りたいと思います。

ブログを始めて1週間程度なのにと思うかもしれませんが、私がTwitterに浮上していなかった間、何をしていたのかを紹介できたらなと思います。

と言っても、自分が今年何をしていたのか特に記録を付けていなかったので、iPhoneの写真を見直しながら思い出します。

 

年末の忙しいので簡単に紹介させていただきます。

急いで書いたため、文が変だったり誤字脱字が多いかもしれませんが、ご了承ください。

 

最後に、もし私の身内で私からの紹介やTwitter経由以外で見ている人が居たら、私に一声かけてください。

特に家族とか見ていたらボソっとお願いします。

 

 

流氷

まず、2021年の写真で目にはいったのは1月31日に行ってきたガリンコ号に乗船した時の写真。

この日はとても寒く、流氷も引き締まっていたそうです。

近くに居た乗客の方が、「普段ならもっと沖まで行くのに…」と言ってました。

岸に接岸するとき、船体と岸の間に流氷が挟まりなかなか下船ができなかったのを今でも覚えています。

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流氷

 

十勝岳

そして春をスキップして夏。

7月18日には十勝岳に挑戦しました。

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十勝岳

山のふもとでは天気が良かったのですが、登っていくうちに風が強くなってきたので頂上目前で撤退。

 

いつも頂上でおにぎりを食べるのが恒例ですが、この時は道中にあった少し広いところで椅子を出して休憩。

汗をかきながら下山した時、駐車場には十勝岳を眺めに来た家族連れが多くいました。

 

黒岳

十勝岳の1週間後には黒岳へ。

この日はキャンプが目的だったため遅めに出発。

日帰りの登山客が下山する中、大きな荷物を背負って頂上へ。

 

道中、訳があって飲料水がなくなった方が居たので持参したお茶を渡して石室へ。

キャンプ場にはすでに多くの人が居ました。

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黒岳石室

テントを立てて、夜空を見て、寝て起きて、黒岳から日の出を見て下山。

帰りは「もう下りてきたのですか?」と聞かれることが多々あり、そのたびに「いいえ、私たちは石室から」と伝えました。

これを言えるのは泊まってきた人の特権です。

 

白雲山

7月31日に行ったのは白雲山。

標高はそこまで高くなく、登りやすかった山。

頂上からの景色はとてもきれいだった。

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白雲山

登山道入り口には湖底線路という場所があった。

漢字から想像できる通り、線路が湖に入っていくのだ。

それが観光地になっているとは知らなかったので、「へぇー」と見て終わり。

 

黒岳石室(2回目)

9月3日~4日は再度石室へ訪問。

今回は朝から黒岳へ登り石室へ。

テントを立て、荷物を整理してから

中岳ー中岳温泉ー間宮岳ー荒井岳ー松田岳ー北海岳

とお鉢平巡りをしてきました。

テントへ戻り、ご飯を食べ、昼間見かけた熊が来ないかと思いながら就寝。

日の出は桂月岳から眺め下山。

全行程で計17㎞くらいの道のりでした。

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日の出

 

道の駅めぐり

2021年、最も大きなイベントである道の駅めぐり。

7月5日に軽い気持ちでスタンプ帳を買ったのが始まり。

テンポよく行ったため11月6日には制覇。

親と運転を代わりながら9万キロ以上(推定)を走破。

 

またオイル交換かよと嘆く父。

ガソリン代へと消える金。

終盤は天気を見ながら冬タイヤと夏タイヤを使い分け、無事故無違反で完走。

 

今でも思い出す、8月8日夜間の北の道。

海沿いなので風は強く、お雨で視界は悪く、前にも後ろにも車は居ない。

この道を年内にもう一度走ることになるとは、この時は考えてもいなかった。

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稚内訪問(2021年1回目)

稚内ヘ行って帰ってきた頃から距離間隔が狂う。

1日700㎞程度までなら行けるということを知ったことで、1日600㎞代の日も出てくる。

 

道民なら一度は目にしたことがあるであろうあの人を見たり、

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あの人

晴れている摩周湖を見たり、

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晴れていた摩周湖

道東を制覇したら道南へ行ったり、

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五稜郭(2021年1回目)

最後は近間の留萌管内で済ませる。

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「すみれ」でのご飯

完走印を貰うため道の駅へ行き、道の駅員の「お疲れさまでした」には今までに味わったことのないほどの達成感があった。

 

雪が積もる前に終わってよかった。

来週からの休日は暇になるな。と思っていたが…

 

稚内訪問(2021年2回目)

そんな考えも甘く、機械があったため11月13日~14日には再度道北へ。

見たことある道を走り、鹿を威嚇し、運転していない時は眠気と闘いながらひたすら北へ。

行きそびれていた宗谷岬で日の出を眺め、間宮林蔵さんに礼をして家に帰る。

もちろん、他にも訪問地はあったがここでは割愛。

まさか、1年のうちに2回も稚内へ行くとは思わなかった。

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宗谷岬

 

鉄道旅

今度こそ終わったと思った長距離移動も、旭川駅で北海道周遊きっぷのポスターを見た瞬間もう一回遊べるドン。

1日目の室蘭・函館をはじめ、帯広、稚内、留萌へ。

普通に買えば7万強もかかるのが1.2万円に。

乗車距離は約2300㎞

今思い返しても楽しい6日間だった。

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次回予告

年明けに更新したいと思ってはいますが、年始はだらだらしたいので未定です。

もしかしたら2月まで音沙汰ないかも…???

 

JR北海道周遊きっぷ(5日目&6日目)

みなさん、こんにちは。

バカ提督です。

 

先日、私はJR北海道が発売している

HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を使用して道内旅行をしてきました。

前回までに、

1日目:旭川から室蘭の地球岬を経由し函館へ行き、函館観光

2日目:函館から長万部倶知安、小樽、札幌経由で旭川に帰還

3日目前編:旭川から岩見沢、苫小牧、南千歳経由で帯広へ

3日目後編:帯広から、新得、東鹿越、富良野、滝川経由で旭川

4日目:旭川から稚内へ行き、旭川

という旅程を公開しました。

5日目以降は学校終わりの放課後に行くため、列車に乗ることがメインとなり、移動距離も減少します。

なので、どうしても一日一日の書くことが短くなってしまいます。

よって、今回は5日目と6日目をまとめて紹介します。

これで北海道列車の旅も終了です。

最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。

 

5日目

旭川駅から深川駅留萌駅

学校が終わりバスに乗り旭川駅へ。

5日目の最初に乗る列車は旭川17時30分発札幌行のライラック38号。

本当は旭川17時37分発岩見沢行の普通列車の方が乗り換え時間が短くていいのだが、せっかく特急に乗れる切符なので余裕をもっての移動。

 

列車は定刻通り旭川駅を発車。

もう何回開いたかわからないJR北海道車内誌を眺めながら、18分程度で深川駅に到着。

時刻は17時48分。

一度改札を出てトイレを済まし、深川18時09分発留萌行の普通列車に乗る。

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深川18時09分発の普通列車

この時、乗客はあまりいなかったのだが出発するときには乗客は28名ほどまで増えていた。

学生の下校時間なのでむしろこのくらい居なきゃ不安になる。

 

そんなことを思いながら列車は発車し、北一已、秩父別と行く。

秩父別では6名ほどの乗客が下りた。そして北秩父別、石狩沼田と列車は進む。

そして沼田駅では14名ほどの学生が下りていく。

これで車内に残ったのは私を入れて8名ほど。

まだ列車は留萌と深川の間くらいまでにしか来ていないのに。

 

18時44分、列車は対向列車と行違うはずの峠下駅に到着した。

しかし、対向列車の姿はない。

運転手が客室に来て

「対向列車は鹿とぶつかったため20分ほど停車します。」

と案内してくれた。1両しかない列車は運転手と乗客の距離感が近く感じる。

 

20分も座っているのはもったいない。

そう思い私は列車を一度降りて峠下駅を見る。

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峠下駅の駅舎

トイレはボットントイレ。待合室は除雪機の車庫。そして周りに何もない。

この駅の役割は列車が行違う以外何もないのだろうか。

 

見るものがなかったため、数分で列車に戻る。

列車の中も見るものは無いが、温かいだけコッチのほうが良い。

列車は16分ほど遅れて19時00分に峠下駅を出発。

その後は暗闇をひたすらに走り、19時25分ごろ留萌駅に到着。

 

留萌駅前散策、そして旭川

みどりの窓口は夕方で閉まったため、駅員の姿はない。

トイレを済まし、空いてない駅そば屋を見て、ローソンへ行く。

冷たい風が強く吹いていた。開いている店など無い駅前を歩く。

一番明るかったのは無人のバスターミナル。

沿岸バスのバス時刻表を眺め、暗い道を歩き駅に戻る。

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沿岸バスの留萌駅前停留所

 

30分程度駅前を歩いて戻ってきた。

帰りの列車は留萌20時20分発深川行の普通列車

留萌駅の待合室に展示されている昔の留萌線の写真を見て時間をつぶす。

 

運転手が列車のドアを開けたので乗車する。

乗客は3人。

列車は定刻通り留萌駅を発車。

鹿に邪魔された行とは違い、帰りは落ち着いた帰路となった。

静かにエンジン音が鳴り響く。

 

列車は留萌線から乗客を奪った深川留萌道を眺めながら留萌の空気を運ぶ。

定刻通り21時16分深川に到着。

深川22時06分発旭川行のカムイ43号に乗り旭川へ帰る。

 

この辺は何回も通っているうえに夜間なので特記することはない。

強いて言えば旭川駅に着いたとき、学校帰りに留萌へ行って帰ってきたことの達成感だろうか。

 

明日は最終日。行先は旭川富良野ー滝川ー旭川のコース。

楽しかった列車旅も終わりへと近づく。

 

6日目

旭川駅から富良野駅

学校が終わりバスに乗り、旭川駅へ向かう。

6日間の列車旅、最終日最初の列車は旭川16時30分発富良野行の普通列車

列車が止まっている旭川駅の一番端にあるホームへ。

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旭川16時30分発の普通列車

 

私が列車に乗った時はまだボックス席も空いていたが、発車するころには立っている乗客がある程度いた。

その多くは学生だった。

コロナが発生する前は、海外からの観光客も居たのだろうなと想像しながら列車は旭川駅を定刻で発車。

 

最初の方は駅間が短く、次第に長くなっていく感覚があった。

そして、自動放送の英語が少し舐めた喋り方をしていたのが少し気になった。

 

さすがに一般道を走る車よりは、列車のほうが早いなと思いながら車窓の外を眺めていると列車は美瑛駅に到着。

ここでは多くの乗客が降り、立ち客も少なくなった。

ボックス席が空いている状況になっても立っている乗客は居る。

腰でも痛いのですかね…。

もちろん冗談ですよ。

私にも立っていたい気分の時があるで分かります。

 

列車は美瑛駅を出発し富良野へ向かう。

上富良野を出発したときは立ち客の姿はなかった。

そして、列車は定刻通り17時40分に富良野駅へ到着。

 

富良野駅から滝川駅旭川駅

前回(3日目)来た時は慌ただしく乗り換えをした富良野駅

今回は少し時間があった。

とは言え、駅前を歩くほどの時間は無いので改札を出て駅の中を見ただけ。

 

数分後、富良野駅のホームへ戻り列車に乗る。

富良野17時57分発滝川行の普通列車

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富良野17時57分発の普通列車

旭川から乗ってい来た列車の折り返しを見送ってから列車は発車。

 

前回乗った時は日曜日だったから乗客が少ないのかと思っていただ、今回の乗客も10名程度と少ない。

前回、鹿と衝突したポイントを何もなく通過し、見覚えのある駅へ次々と止まっていく。

外は相変わらず真っ暗。

そんな景色を眺めているうちに18時58分、滝川駅に到着。

 

次に乗り換える列車は滝川19時17分発旭川行のライラック35号。

列車の発車まで20分程度あったため駅前を少し歩く。

滝川の駅前にはスマイルビルという建物があり、今はどうなっているのかと見に行った。

しかし、まだ19時だというのに施設は真っ暗。

 

入口には張り紙が。

そこには閉館したという内容が書かれていた。

そういえば、閉館するという新聞記事を読んだ気がする。

そう思ってが実際に見ると少し寂しい。

 

そのほかはすぐに行ける範囲に無いため駅に戻る。

トイレを済ませ、ホームに行き列車を待つ。

定刻通りに列車はホームに入構してきた。

これが今回の列車旅で最後に乗る列車となる。

 

旅の最後に相応しく、何事もないまま19時55分列車は旭川駅に帰ってきた。

これで私の列車旅は終了。

明日からは何もない今まで通りの日々。

楽しい6日間をありがとうございました。

 

次回予告

次回は間に合えば明日31日に更新する予定です。

テーマは一年を振り返って。大晦日にありがちなテーマです。

最近減っていたツイートの回数。

ツイートしていない間、どのようなことをしていたのか。

次回もよろしくお願いします。

JR北海道周遊きっぷ(4日目)

みなさん、こんにちは。

バカ提督です。

 

先日、私はJR北海道が発売している

HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を使用して道内旅行をしてきました。

前回までに、

1日目:旭川から室蘭の地球岬を経由し函館へ行き、函館観光

2日目:函館から長万部倶知安、小樽、札幌経由で旭川に帰還

3日目前編:旭川から岩見沢、苫小牧、南千歳経由で帯広へ

3日目後編:帯広から、新得、東鹿越、富良野濁川経由で旭川

という旅程について紹介いたしましました。

今回は、4日目ということで稚内に行って帰ってきました。

今年は2回稚内へ行ったのですが、2回とも訪問をしたのが夜と早朝だったため昼間の稚内は初めてです。

帰りの列車では急ブレーキも体験。

そんな4日目もお付き合いしていただけると嬉しいです。

 

4日目

 

旭川から稚内

旭川9時00分発稚内行の宗谷号が4日目最初に乗る列車となった。

そして、乗ってみたかった「はまなす編成」。

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旭川9時発のはまなす編成

自由席にはそれなりに乗客が居ることなんて気にせず、私は指定席へ。

平日ということもあり、指定席にはあまり人がいなかった。

おそらく私の乗った車両の乗客は10名程度。そのうち、何人が観光客なのか。

 

これが261系なら車両点検を行っていた可能性が高かったかもしれない。

なんて笑えない冗談を思いながら、列車は定刻通り旭川駅を出発。

列車は旭川を出ると、塩狩峠へ。

私は塩狩峠を通るといつも鉄道職員の長野さんを思い出す。

そして列車は国道40号線へ近づき、しばらくすると天塩川も姿を現す。

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車窓から見た天塩川

 

順調に走っていたその時、力強い警笛が聞こえ軽いブレーキ。

私は急いで外を見た。またお前か。*1

線路から逃げて木々の中に。白いお尻の持ち主。今までも邪魔しに来た鹿。

今回はぶつかったわけではないので良かった。

 

その後は何もトラブルはなく、利尻富士は見えなかったが日本海を眺めて12時47分に稚内へ到着。7分遅れだった。

そして、書くネタがなかったため短いがここまで3時間47分。

旭川ではさほど高くなかった太陽が南の空に昇っていた。

 

列車を降りて、稚内駅でも はまなす編成 を写真に収める。

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稚内駅で撮った はまなす編成

昨日までとは違い、乗り継ぎは無かったが疲れた感じはあった。

 

お昼ご飯

着いてすぐ、私の頭の中はお昼ご飯に何を食べようかでいっぱい。

観光案内所へ直行しこの空腹を解決する方法はないかと聞く。

おすすめしていただいたのは「チャーメン*2」。

駅から少し歩くことになると言われたが、そんなことは関係なし。

すぐに駅を出て教えてもらったお店を目指して歩く。

外は冷たい風が吹き、霰*3も降っている。

 

外を歩いて15分ほど。口を開けば「寒い」という言葉しか出てこない。

頑張って歩いて着いたのは稚内副港市場

中に入って「てっぺん食堂」へ直行。

入口でチャーメンがあることを確認して店内へ。

入店時の検温では、寒い中歩いたので表面温度が低いのかエラーが連発。

店員さんも大丈夫でしょうと言って席に案内してもらう。

店員さんがお水を持ってきてくれたタイミングでチャーメンを注文。

メニューを開きもしなかったけど問題ないだろう。

 

あちこちでよく見かける、にしん街道の標柱を見ながら料理を待つ。

そして、近づく1人の店員。手には熱そうなチャーメン。

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鉄板チャーメン

先日、小樽で食べたあんかけ焼きそばに似ているこの料理。

違いは、具の多さや味の濃さ、麺のを揚げるか茹でてから焼き色を付けるかなどの違いがあるそう。*4

 

熱々で具が多いあん。そして麺は茹でているため柔らかめ。

汁なしあんかけラーメンのようだった。個人的にはこっちのほうが好み。

レンゲで回収できる限りの あん を回収。

体の中からポカポカしてくるのが感じられる。

今回、稚内へ訪問した目的はこれだったのかもしれない。

 

満足したまま会計へ行った。

その時店員さんから「チャーメン、どうでしたか?」と聞かれました。

もちろん、「美味しかったです。本当にありがとうございました。」と言わせていただきました。本当は会計を終えてから言うつもりでしたが先を越されました。

気持ちを伝えられたらどちらが先かなんて関係ないのですけどね。

 

稚内のノスタルジーとノシャップ岬

副港市場の売店コーナーの横には、港ノスタルジー*5稚内ノスタルジーなどの展示がある。

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港ノスタルジー

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稚内ノスタルジー

港ノスタルジーには稚内港駅の歴史が紹介されており、稚内ノスタルジーではダイヤル式電話や親子丼90円、ジュース40円など見て楽しい空間があった。

思わず3周もしてしまった。

 

これほど楽しかったのに、なぜか私以外誰もいなかった。

おかげで思う存分見られたので良かったのか…?

 

また寒い中15分歩いて駅に戻る。そしてバス停へ。

次の目的地はノシャップ岬

前回稚内に来た時は宗谷岬へ行ったのでその反対側へ。

バスに乗り、ノシャップ岬最寄りのバス停へ行った。

 

バスを降りたらさっきまで冷たい風だったのが、冷たい強い風へ。

髪の毛はぼっさぼさ。歩道はつるつる。

そんな環境だからノシャップ岬には誰もいない。

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ノシャップ岬

 

1人でノシャップ岬を堪能。時間もあるので、稚内市青少年科学館や、ノシャップ寒流水族館へ行こうとした。

何も考えなかったため何も調べていなかったが、12月1日から1月31日まで冬期整備休館だった。

ここで2時間くらい時間を消費しようと思ったのに大誤算。

 

仕方が無いので、帰りのバスの時間まで近くの売店に入った。

そして、時間になったのでバス停に向かう。

歩いている途中、道路に「シカ注意」と書かれているのが目に入る。

そして道路を渡るために左右の暗算確認をすると、左側にヤツが。

道路に書かれた注意喚起はさっそく役に立った。

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道路に書かれていた注意喚起と道路を歩くヤツ

個人の間隔では音威子府村以北はシカの出没が多い気がする。

過去2回稚内に車で来た際、何度も何頭ものシカを目にした。

特に、中川町付近が危ない。

15時30分ごろ稚内駅に戻ってきた。

 

稚内駅前散策

帰りの列車は稚内17時44分発札幌行の宗谷号。

あと2時間ほど時間が残っている。

なので、夏はバイク乗りの雨宿り場となっている稚内港北防波堤ドームへ。

 

先端まで歩くと、稚内海上保安部に所属している「PL11 りしり」と「PM12  もとうら」が停泊していた。

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稚内に停泊していた りしり と もとうら

冷たい風が吹き、波が船を揺らす。係留ロープからギシィと音が聞こえる。

周りには誰もいなかったためとても静かだった。

 

その後は適当に散歩。そして、ふと見つけたCD・DVDショップに寄ってみる。

店内に入ると、日に焼けたDVDパッケージたち。

最終兵器彼女攻殻機動隊、とある科学の禁書目録、その他古相な作品や、ゴーストバスターズホームアローンの1作目など。さらには初回限定版も残っている。

日に焼けていなければ、攻殻機動隊のDVDd絵も買ったのに…と思いながら店主に「ありがとうございました」と言って店を出る。

 

昨日に引き続き、今回も晩御飯の時間が中途半端なため近くのホットシェフ付きセイコーマートへ。

晩御飯、飲み物、お菓子と買ってから稚内駅に戻り、お土産を買う。

少し待ってから入構してきたのは旭川から来たサロベツ1号。

稚内駅へ17時23分着予定が3分ほど遅れて到着。

この列車が折り返して宗谷号になる。

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稚内駅に入構したサロベツ1号

 

稚内駅から旭川駅

17時33分、札幌行宗谷号の改札が始まる。

乗客は少ない。念のため指定席を確保したが、これなら自由席でのびのびとしたらよかったと後悔。

私が乗っていた車両には乗客は8人程度。

17時44分、列車は定刻通り稚内駅を発車する。

 

稚内駅を出てすぐ、私は晩御飯を食べる。

メニューは明太子&マヨおにぎり、たらこおにぎり、ザンギ、チーズ入りかまぼこ。

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晩御飯(食べる前に撮らなくてごめんなさい。)

ご飯を食べ終わった私は、ちょうどいい満腹感から睡眠が襲ってきたため少しの間寝させてもらった。

 

1時間程度寝て起きた。どうやら幌延駅と天塩中川駅間を走行しているようだ。

現在地を確認したところで外を眺めるが、あたりは黒一色。

とそのとき、キィィィとブレーキがかかった。しかし、すぐにまた加速した。

もう言わずともわかる。ヤツの再来。

 

そして少し走ると、またキィィィとブレーキがかけられた。

2回目の急ブレーキ。またすぐに再加速したので大丈夫だったのでしょう。

しかし、1回しか鹿に遭遇しなかった行きとは違い、帰りは1区間で既に2回も鹿に遭遇。

仏の顔も三度までとは言うけど、鹿の顔は…

 

その時、キィィィィィィィイィィと3度目のブレーキ。

そして列車は停車。そしてアナウンスが入る。

「只今、列車が鹿と衝突したため非常停止いたしました。

今の非常停止でけがをされたお客様がいらっしゃいましたら、

車掌が近くを通った際にお声がけください。」

とのこと。そして車掌が怪我人の有無を確認しながら車内を巡回。

その間に運転手は安全確認。

 

運行に支障が無いとのことなので運転を再開。

その後、名寄手前でもブレーキがかけられたがそれ以外は何事もなく旭川へ。

9分遅れの到着だった。

乗り換えが無くても疲れた1日だった。

明日からは学校もあるので帰ってすぐ寝た。

 

次回予告

1日で何百キロも移動していた4日間とは違い、残り2日間は一気に移動距離が短くなる。

なので次回は5日目と6日目をまとめてご紹介。

4日目にして鹿に懲りたが明日からの列車旅ではどうなるのか。

5日目は留萌、6日目は旭川富良野ー滝川ー旭川のルートをご紹介。

次回、最終回は30日に更新予定。

 

*1:どう森でスズキを釣ったわけではない。

*2:稚内ソウルフード

*3:艦娘やアズレン、軍艦ではないよ。(2回目)

*4:詳しくはこちら

*5:ノスタルジック。郷愁を感じるさま

JR北海道周遊きっぷ(3日目後編)

みなさん、こんにちは。

バカ提督です。

 

先日、私はJR北海道が発売している

HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を使用して道内旅行をしてきました。

前回までに、

1日目:旭川から室蘭の地球岬を経由し函館へ行き、函館観光

2日目:函館から長万部倶知安、小樽、札幌経由で旭川に帰還

3日目前編:旭川から岩見沢、苫小牧、南千歳経由で帯広へ

という旅程について紹介いたしました。

今回は、3日目後編ということで帯広から新得、東鹿越経由で帰宅します。

この時の話は、さまざまな人にさせていただきました。

それほど、印象深く残りました。

それでは、3日目後編もお付き合いしていただけると嬉しいです。

 

3日目 後編

 

帯広散策

食後は時間をつぶすため再度長崎屋へ。

店内を歩き回り、本屋や模型店へ。

特に何も買わず陳列されている商品を眺める。

 

そして、ゲームセンターへ。

時間つ物資が目的なのでガルパン*1のパチンコでもあれば、100円分だけやろうかと思ったがなかった。

なので、エアホッケービッグバンスマッシュを一回プレイする。

 

コロナ感染症拡大防止対策のために付けられたと思われる厚めのビニールシートに手の甲が当たり、細かい傷をいくつか負いながらも激しい接戦を繰り広げたが、結果は私の負け。

 

その後は藤丸百貨店の方へ行った。

ちょうどポケモンセンター出張所が来ていたため、中を覗いた。

私のなかのポケモンポッチャマの時代で止まっていったため、知らないポケモンも多い。

しかし、レジギガスレジアイスカイオーガといったポケモンも居たため楽しかった。

 

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帯広のポケふた

再度駅に戻る。

道中、福山雅治の真似をする大泉洋の話で盛り上がった。

「洋ちゃん、このベッド柔らかいね。でもね、ここにはクイーンサイズしかないんだよ。」

やっぱり面白い。

 

駅に戻ったらお土産を買い、帰りの列車を待つ。

帰りの列車は、帯広17時48分札幌行のおおぞら10号。

待っている途中、列車は7分遅れで運転をしているというアナウンス。

この時は、新得での待ち時間が少なくなっただけ。

その程度にしか思っていなかった。

 

帯広駅での足止め

ホームに並び、兄から珍しく電話がかかってきたことに驚きながらも楽しく会話をしていると列車が入構。

案内通り、7分遅れの17時55分。列車に乗車し、座席に座る。

しかし、列車は動かない。

 

そこへ車掌からのアナウンス。どうやら線路上に列車と接触する恐れがある倒木を発見し、撤去作業を行っている間は帯広駅を発車できないとのこと。

天気が荒れるというニュースは朝から聞いていた。風が強かったことも体験していた。

気象庁によると、この日の16時57分に最大瞬間風速20.2[m/s]を観測したらしい。自然が相手なら仕方がない。

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JR北海道の運行状況による案内

 

そして、車掌のアナウンスには新得から代行バス*2を利用される方は、帯広駅の駅員に申してくださいとのことも。

ちょっとした遅れでは済まないと思った私は大慌てで駅員さんのもとへ。

駅員さんに代行バスを利用したい旨を申告。駅員さんも「只今確認をしていますので少々お待ちください。」とのこと。

 

対応に忙しい駅員さん。途中、代行バスは待たせていることを教えてもらったが、どうなるかわからなかったので「したっけ、とりあえず車内で待っている他の2人も呼んできます。」と言い列車にいったん戻る。

2人に事情を話し、荷物を持って改札に移動。

どうやら代行バスの利用者は、私たち3人とおじいちゃんの計4人のようだ。

 

おじいちゃんはノサップ岬へ強風の中行き、風に飛ばされながら観光をしてきたとのこと。時間がなく、昼ご飯を食べられていないとの話も。

途中「列車が動かないなんて、どうしようもない。」と言っていたため、正しい意図は分からないが、自然が相手なので仕方がないと宥める*3

 

そんな話をしていると、窓口の中からJR北海道の黒いコートを着た人が出てきてタクシーで新得まで送ってくれること、帯広ー新得ー東鹿越ー富良野まで行けることは約束してくれることを教えてくれた。

そして駅員さん曰く、帯広駅ー新得駅間は冬道ということもあり1時間ほどかかるとのこと。

すぐに旭川までの帰路に問題がないか確認。

結果は、富良野旭川間の終電には間に合わないことが分かり、富良野ー滝川ー旭川で帰ることにした。

 

なので、駅員さんに目的地を確認されたときは滝川経由で旭川まで帰ると告げた。

駅員さんはすぐに窓口へ戻り、富良野から先の経路を確保できるように努めてくれた。

18時15分ごろ、代行タクシーが帯広駅に到着。

駅員さんからは滝川までのルートは確保できたが、滝川から先はその場の対応となる説明を受けた。

滝川まで帰れたらどうにでもできるなと思いながら、駅員さんに「ありがとうございました。」と言ってタクシーは帯広駅を出発。

 

帯広駅から新得駅、東鹿越へ

18時16分、タクシーは帯広駅を出発。

代行タクシーは2台用意されており、おじいちゃんと私たちのグループに分かれた。

タクシーは風に煽られながら新得駅に向かって走る。

途中、前の車を煽っている車も居たが気にしない。

 

車内では、私たちが払うわけではないが料金メーターが動いている。

いつもは2000円程度までしか見ないのに、5000円を突破し元気よく増えていく。

新得駅に着いた頃、タクシーの料金メーターは12710円。

長距離割を入れても12000円程度だったはず。

今回使用した切符の購入金額は12000円。あはは。

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タクシーの料金メーター

3人乗っているとはいえ、申し訳ない気持ち。

 

新得駅では案内通り、東鹿越行の代行バスが待っていた。

待たせた人に申し訳ないと思いながら乗車する。

しかし、乗っていた人数は1人。しかも、サホロリゾート*4で降りて行った。

とはいえ、待たせてしまって申し訳ない。

バスは約30分遅れで新得駅を発車。

 

このままの遅れで行くと東鹿越到着は20時15分ごろとなり、富良野着は21時05分ごろ。

予想通り、富良野旭川間の営業は終了しているため滝川経由で旭川着が24時30分になる。

明日も遠くに行くのにと思いながら、東鹿越駅に到着。

時刻は20時05分。15分ほどの遅延に縮まった。

 

東鹿越駅から、富良野、滝川へ

周りに時間をつぶせるような施設なんて無い中にある駅。

そこでは代行バスの折り返しに乗る客(主に学生)が。

富良野行の列車に乗ると運転手さんから「滝川方面に行かれるお客さんですか」との確認。

この一言だけでも無事に帰れると安心できる。

 

車内には私たち3人+おじちゃん+先に乗っていた客の計4人。

このまま行っても21時ごろに富良野駅に着き、乗り換えは富良野22時27分発滝川行の普通列車になるだろうから、富良野で何をしようかと考えているうちに列車は富良野駅に到着。

時刻は20時50分ごろ。

 

列車を降車して驚いた。富良野駅のホームには私たちのために滝川行の快速と、他の乗客のために旭川行の列車が待っていたのだ。

旭川普通列車もあるが、滝川経由で帰ると申告したため責任をもって滝川行の列車へ乗車。

どちらとも15分程度遅れて富良野駅を発車。

これまで接続待ちに付き合わせてしまった乗客に申し訳ない気持ちでいっぱい。

そして、帰路を確保してくれたJR北海道にも感謝。

 

予定は大きく変わり、このままの遅れだと21時50分頃に滝川駅に着き滝川21時52分発のライラック41号に乗れる。旭川着は21時25分と大幅に早くなる。

そんな喜びの中、列車は徐々に減速した。停車駅が近いのかと思っていたが、何もないところで停車した。

そして車内アナウンスが入り、またヤツ*5が私の計画を邪魔したことを知った。

 

被害は軽微だったらしく、7分程度の足止めで済んだ。

しかし、乗り継ぎはうまくいかないなと諦め。

降りたら鹿と衝突した顔を見に行くかと思いながら、滝川駅に到着。

時刻は22時00分ごろ。

 

滝川駅から旭川駅

滝川21時52分発旭川行カムイ43号が来るまで何をしようかと思いながら列車を降りる。

そうすると、次は滝川21時43分旭川行の普通列車滝川駅で待っていたのだ。

何人かの乗客はそのまま旭川行の普通列車に乗り換えた。

私たちも走って連絡通路を渡り乗り換えた。

ここまで手厚く対応をしていただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。

列車は22時03分ごろ滝川駅を出発。

 

滝川駅を出発してすぐ、車内アナウンスが流れた。

旭川から先の名寄行き普通列車に乗り換える方は、車掌に声をかけてくださいとのこと。

可能な限り、乗客を目的地まで送ろうとする努力に感動した。

 

20分遅れで運転をしていた列車は22時55分ごろ旭川駅に到着。

当初の予定から見ると1時間12分の遅れ。

途中で想定した到着時刻からは1時間35分の早着。

 

今回の帰路では、様々な人に感謝と待たせてしまった人への申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

家に着いた私は昨日同様、片付けと親への報告を済ませ、明日の準備を整えて寝る。

 

次回予告

次回は列車旅4日目。

行先は稚内。この日から先は私一人の旅となる。

次回も呼んでいないアイツが登場。

今までも出てきたので予想できるよね。

次回は28日を予定しています。

*1:ガールズ&パンツァー

*2:新得ー東鹿越間は2016年8月の台風による被害のため不通。同区間ではバス代行が実施されている。

*3:なだめる

*4:列車代行バスは十勝サホロリゾートの無料送迎バスとしての役割を併せ持った運行となっている。

*5:今回の列車旅では2回目の登場。人間の努力を水の泡に変える謎の生き物。鹿。

JR北海道周遊きっぷ(3日目前編)

みなさん、こんにちは。

バカ提督です。

 

先日、私はJR北海道が発売している

HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を使用して道内旅行をしてきました。

前回までに、

1日目:旭川から室蘭の地球岬を経由し函館へ行き、函館観光

2日目:函館から長万部倶知安、小樽、札幌経由で旭川に帰還

という旅程について紹介いたしました。

今回はその列車旅の3日目について書かせていただきます。

行先は帯広。いくつかの経由地を通って行きます。

この日までは私と友達2人の3人で行動して、4日目からは私一人になります。

そして、3日目は今回の列車旅をブログに残そうと思った出来事が起こります。

このように話のネタが盛りだくさんなため、3日目は前編と後編に分けさせていただきます。

相変わらずの長さですが、お付き合いしていただけると嬉しいです。

 

3日目 前編

 

旭川駅から岩見沢駅へ

交通機関が乱れる可能性があるとニュースで言われていた日の朝。

私はすぐにJR北海道の運行状況を確認する。

結果は、目立つ遅延や運休は無し。

留萌線すら動いているのに、北海道のどこで交通機関が乱れるほど天気が悪いのだろうか。

そう思いながら始まった3日目。

函館へ行って帰ってきた昨日までとは違い、今日は様々な路線に乗る。

旭川7時55分発札幌行のライラック10号が、3日目の最初に乗る列車となる。

私たち3人グループの1人を除いて…

 

50分になっても駅には私ともう1人の友達しかいない。

LINEの既読も付かず、電話も通じず。

私は、寝坊だと推測した。寝坊した人を待つか、先に行くか。

迷った私は後者を選択。どれほど遅れるかにもよるが、最速ルートで来たら私たちに追いつけると判断したから。

 

こんなことになるなら迎えに行けばよかったと後悔しながら乗車。

車内の乗車率はそれなりにあった。

私たちは2人であることと、車内の混雑状況を考えボックス席にしないで座席につく。

ギリギリに乗ったので、座席について身の回りの整理をしているうちに列車は出発。

その時、横に座っていた友達が「外を見て」と言った。

すぐに私は外を見た。そこには昨日まで函館へ一緒に行き帰ってきた見覚えのある顔。

 

「え、ちょい待って」とでも言っているかのような反応。

しかし、列車が出発してしまっては仕方がない。

私たちは旭川岩見沢ー苫小牧ー南千歳ー帯広と行くのに対して、乗り遅れたゴリラさん*1には次の列車で旭川ー札幌ー南千歳と行ってもらい、南千歳で合流しようと連絡した。

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私たちのルート(オレンジ)とゴリラさんのルート(黄色)

朝から面白いネタをありがとう。

 

列車は1日目も通った道を走り、8時55分岩見沢に到着。ちなみにゴリラさんは深川と滝川の間かな。

 

岩見沢駅から苫小牧駅南千歳駅

一旦改札を出てトイレを済まし、岩見沢9時03分苫小牧行の普通列車へ乗車。

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岩見沢普通列車

車内には私たち2人を含め15人程度の乗客が居た。

この中の数人は途中駅で下車したものの、10名ほどは苫小牧まで乗車していた。

 

列車は何もない平坦な線路を一生懸命に走る。

そして、目立つ遅延や運休は無かったが天気が荒れると言っていただけあって、道中多少の視界不良に遭遇した。

10時35分ごろ苫小牧駅に到着。

視界不良に遭遇したが、範囲は狭かったため4分程度の遅延で済んだ。

 

乗り換え先の列車は苫小牧10時37分発札幌行の北斗3号。

時間がそれほど無いので急いで連絡通路を渡りホームへ向かう。

しかし、乗り換え先の列車も4分ほど遅延しているとのころ。

結果論だが、歩いても全然間に合ったし改札を一瞬でることもできた。

 

文句を言っても仕方ないので、冷たい風が吹く中ホームで列車を待つ。

JRには文句を言わなかったが、天気に関しては「寒い、寒い」と文句を連発。

自然に対して文句を言うほうが無駄だが口を開けば「寒い」と言ってしまうので仕方がない。

 

そんなこんなで時間は過ぎ列車がホームに現れる。

苫小牧ー南千歳間のたった15分程度しか乗車しないが座席には座る。

さっきまで逆方向に乗車していた路線と少しの間並走し、その後別れて南千歳方向へ頭を向ける。

10時59分ごろ、南千歳駅に到着。

無事ゴリラさんとも合流をすることができ、ここから3人で行動することになる。

 

南千歳駅から帯広へ

ここからは予定通り、南千歳11時05分発帯広行の とかち3号 へ乗車。

自由席の数が少ないため、せっかく3人グループになれたがバラバラになることを覚悟。

実際に車内の乗車率はそれなりにあり、ボックス席にするスペースは無かった。

しかし、後ろの方でまとまって座れたので良かった。

 

南千歳駅を出た次は追分駅。先ほど、違う路線で通った駅。

短時間のうちに二回も同じ駅を見たので、少し不思議な気分。

 

その後、列車はバリバリ夕張でおなじみの夕張*2にある新夕張駅に停車。

新夕張駅を出発した後も信号待ち等で何度か停車と発車の繰り返し。

普段、函館本線旭川ー札幌間)しか利用しない私にとっては少し不思議だった。

 

列車はトマムで幸せそうな家族を下ろし、一部区間不通*3根室本線と合流して、狩勝峠へ。

右往左往に列車は揺れながら峠を通過し、十勝平野に突入。

 

ちなみに、狩勝峠でのトイレは難易度が高かったため乗車することがあれば注意することを勧める。

普通に頭を使えば、予測できない揺れの中で立って用を足すのは難しいから事前に済まそうと考えられたはず…

汚い話をしてごめんなさい。

ちなみに私は用を足している間、頑張って体を固定していたため こぼさなかったです。(誰も聞いていない。)

13時12分、列車は無事帯広駅に到着。

 

遅めの昼ご飯とおやつ

帯広に到着したのでまずは昼ご飯!!

メニューはもちろん豚丼!!…ではなくカレー。

飲食物の買い物も考え、行ったのは長崎屋の中にある「カレーショップ インディアン」。

時刻は13時25分ごろ。

3日連続シーフードになるなと思いながらも、注文したのはシーフードカレー。

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シーフードカレー

 

テーブルに備え付けられている福神漬けをたくさん乗せて、熱々の出来立てを食べる。

前回、帯広に来た時は食べられなかったため念願のインディアン。

そして、カレー味はやはり強いと改めて思った。

 

食後はスーパーマーケットのフクハラで買い物を済まし、駅前に戻る。

カレーの後は甘い物と思い、六花亭の帯広本店へ。

道内でも3店舗でしか販売されていない「マルセイアイスサンド」を食べ、駅前を散策。

この日は風が強かったため、あまり遠くまで歩こうとは思わなかった。

私たちは、適当に散策しながらも駅の方へと戻った。

 

早めの晩御飯

駅前を散策したが風が強かったため引き返してきた私たち。

時刻は14時45分ごろ。

帰りの列車は帯広17時48分発。

昼ご飯を食べておやつも食べて帰りの列車まで3時間ほど。

選んだ選択肢は晩御飯を食べること。

 

帰りの列車は18時前と晩御飯を食べるには不都合だし、15時を過ぎるころに食べるのなら早めの晩御飯にカウントできるはず。

そう思って向かったのは帯広駅に付いているエスタの中。

豚丼のぶたはげ

店内に入り、豚丼(4枚)を注文。

 

カウンター席に座ったため、目の前で店員さんが焼いているのが見える。

まるでこれが昼ご飯かのように待っていると、ご飯が盛られてお肉が乗せられ、私の目の前へ。

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豚丼

 

今自分が何ご飯を食べているのかなんて考えずに、ただ目の前に出てきた料理を食べる。

やはり、豚丼を食べていると帯広に来た実感がわく。

 

次回予告

次回は3日目後編。

帯広から帰るだけなのに内容は濃いめ。

JR北海道に改めて感謝した帰り道とは一体…

次回は26日を予定しています。

*1:ネタを提供してくれた敬意を含む

*2:軍艦、艦これ、アズレンを想像した人は正直に。

*3:東鹿越ー新得

JR北海道周遊きっぷ(2日目)

みなさん、こんにちは。

バカ提督です。

 

先日、私はJR北海道が発売している

HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を使用して道内旅行をしてきました。

前回は旭川から室蘭にある地球岬を経由し、函館へ行き昼食や観光を行った1日目を紹介しました。

今回はその列車旅の2日目について書かせていただきます。

行先は旭川の自宅。途中、長万部倶知安、小樽等に経由します。

まだまだ、先は長いですが付き合っていただけると嬉しいです。

 

2日目

 

ホテルから五稜郭

朝5時に設定したモーニングコールが鳴り響く。

さて、起きて森駅行の普通列車に乗り藤城支線くらいは通っておくか

と考えていたが、砂原支線は残ってしまうのでまぁいいかと諦めた。

我ながら素晴らしい判断力

モーニングコールを消したときには諦めると決めていたのだから。

そこから2時間ほど眠り、シャワーを浴びてから朝食を食べチェックアウト。

 

そして、昨日いけなかった五稜郭公園へ行った。

中を見学する時間は無かったため、外を歩き函館駅へ帰る。

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箱館奉行所

お土産をいくつか買い、改札を通り2日目がスタート。

 

函館駅から長万部駅

2日目の最初に乗る列車は、函館10時47分発札幌行の北斗9号。

改札を開始してから切符を自動改札へ通しホームへ向かう。

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ラベンダー編成(左)と北斗9号(右)

その際に、思っていた以上に人がいることに気づく。

このままのんびり歩いていると自由席に座れなくなると思った私は、一人早歩きで自由席車両に向かい座席の確保へ。

一人二人三人…と追い抜き列車に乗ると拍子抜け。

あれ、誰も乗っていない…。

他の人を見ていると、皆さん指定席へ。

結局私たちが乗った車両には私たちを含め3組7名ほど。

私の小さな努力は一体…

 

「函館の皆さんさようなら、大変ご迷惑をかけました*1

という冗談を思いながら、列車が定刻通りに函館駅を出発。

 

昨日も堂々と鎮座していた駒ヶ岳に別れを告げ、長万部駅へ。

12時18分、列車は長万部駅に到着。

 

長万部での昼ご飯

小雨が降る中、駅の外へ。

どうせ降るなら雪のほうが楽なのに

と思いながら、昼ご飯を食べに駅前の「かにめし本舗 かなや」へ。

 

時間的に混んでいるのかと思っていたが、店内には4組ほどしかいなかった。

待つこともなく席へ案内され、私は かにめしセット を注文。

メニューに書かれているカニ飯の歴史を読んでいると料理が到着。

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かにめしセット(手前)と かにめし大盛(奥)

 

視覚的に幸せを堪能し、一口二口とかにめしを口に運び味覚でも幸せを堪能。

茶碗蒸しには手を付けず、他の料理を完食。

かにめし のご飯粒を一粒も残っていない状態にしてから、いざ茶碗蒸しへ。

決して茶碗蒸しが苦手なわけではありません。

むしろ大好きです。

この最後に食べる茶碗蒸しで かにめし に興奮した気持ちを落ち着かせ、幸せだった時間を振り返り楽しむ。

 

会計を済ませ、店員さんに

おいしかったです。ごちそうさまでした。

と伝えて駅に戻る。

 

長万部駅から倶知安駅余市駅

駅に戻ってから、駅弁の かにめし 模様のティッシュを買い、長万部町公式キャラクターの まんべくん の顔出しパネルを見て、長万部13時18分発倶知安普通列車へ。

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長万部発の普通列車

列車にはそれなりの人数がいた。

狭いところに座るならと思い立つことを選択。

ここで見た人の多くは途中下車することなく倶知安駅へ。

 

途中、羊蹄山が見えるかと思っていたが地形が悪かったり、天気が悪かったりと今回はお預け。

周りはどこを見ても雪化粧をしており、他に見るものも無く倶知安駅へ。

 

倶知安駅に着いたら小樽行の普通列車に乗り換え。

皆さん、改札から出ることもなくそのままホームで列車を待つ。

ホームでの待ち時間はさほど長くはならなかった。

 

列車がホームに入構し、ドアが開き乗客を入れ替える。

私も乗車し、ロングシートへ座ろうとしたとき一人の男が先に座る。

先ほどの列車でも見た顔。

ニセコで乗車してきた4人グループの一人。

どうやら並んでいなかった同伴者の座席も確保したかったそうで。

 

まだ15時過ぎというのに、良い物でも飲んできたかのとうに顔を赤くして。

もしかして熱でもあるのではないですか?

と嫌味を言いたくなったが、座席取り合い合戦に負けた私は大人しく我慢。

そして、またしても狭いところに座るならと思い立つことを選択。

この選択が失敗だった。

 

列車は15時18分、定刻通り倶知安駅を出発して小樽方向へ。

列車が倶知安駅を出発してから数分後。

先ほどの男は、立っている私の前で呑気に寝ている。

上から見ると拳を下ろしたくなるような男の頭が眼中に。

何度、握った拳を我慢したことやら。

 

16時04分、列車は余市駅に到着。

私のストレッサー*2ともここでお別れ。

 

余市駅から小樽駅、そして晩御飯へ

行動を共にしている友達の要望で、余市駅へ。

小雨が降り、あたりは暗くなっていた。

 

道の駅まで歩き、買い物を済ませて余市駅に戻る。

次の列車まで時間があったため、駅の物産展でも買い物をする。

 

余市16時47分小樽行の普通列車に乗車。

車内には私たちを含めても10名居ない程度。

17時12分、小樽駅に到着する。

 

晩御飯に何を食べようか迷った私たちは、駅の観光案内所でおススメを聞く。

勧められたのは「あんかけ焼きそば*3」。

どうやら今小樽ではあんかけ焼きそばを強く推しているらしい。

 

紹介していただいたお店、「ニュー 三幸」へ。

注文したのはもちろん、三幸海鮮あんかけ焼きそば。

店内を眺めていると、料理が到着。

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三幸海鮮あんかけ焼きそば

熱々+海鮮がいっぱい。

これはおいしいに決まっている。

 

おいしいご飯を食べた私たちは小樽駅に戻る。

 

小樽駅から札幌駅、旭川駅

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小樽駅

小樽18時30分新千歳空港行の快速エアポートへ。

札幌近郊というだけあって、それなりに乗客は居た。

晩御飯を食べて、体がポカポカになった私は少しの間寝てしまった。

19時07分、札幌駅に到着。

 

札幌では用事を済ませて、適当に時間をつぶし札幌21時00分発旭川行のカムイ43号へ。

この列車にもそれなりに乗客は居た。

車内でご飯を食べるカップル。

いいにおいが車内に広がる。

 

22時25分、列車は旭川駅に到着する。

2日目の全行程が終了する。

家に帰った私は、片付けと親への報告を済ませ、明日の準備を整えて寝る。

 

次回予告

次回は、あちこちを経由して帯広へ。

ここでも美味しそうなご飯が登場。

2回連続こんな予告でいいのだろうか…

3日目は前編後編の2本に分けます。

次回は25日を予定しています。

*1:ミグ25事件の際、胴体に張られた横断幕。

*2:ストレス反応を引き起こす原因

*3:小樽のソウルフード